ビートルズが解散した1970年、自分は4歳だった
もちろん、リアルタイムで彼らを見たことはないし、彼らの音楽に人生を左右されたわけじゃない
でも、ビートルズというバンドがこの世に存在していたのと同じ時代に生きていたというそのこと自体が、何か自慢気に感じられたものだった
マイケル・ジョーダンがNBAでプレイしていた頃、自分はBSで放送されていたシカゴ・ブルズの試合に熱中していた
重力や慣性の法則に逆らうかのような空中での身のこなしや、そのカリスマティックな雰囲気…『バスケットボールの100年の歴史はマイケル・ジョーダンをプレイさせるためにあった』という言葉に酔い、そして彼のプレイを生中継で見ることができる時代にいることに感謝した
そして今…
バレンティーノ・ロッシというライダーの走りを見ることができる時代にいるということが、心から幸せだと思う
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コースとの相性、マシンのセットアップのスケジュールを狂わした金曜日の雨、ケーシー・ストーナーとのポイント差…
悲願のタイトル奪還に向けて、このもてぎにちりばめられたありとあらゆる条件は、ロッシに”勝たなくてもいい”という結論を指し示していた
125や250の頃の彼だったら、迷わず勝ちに行くことだろう
ホンダに乗り始めた頃でも、きっとそうだっただろう
しかし、失って初めて知ったタイトルの重さ、年々シビアになるマシン開発、急成長を見せる若いライバルたち、そして何より一緒にヤマハへついてきてくれたチームスタッフのために、この決勝で最優先しなければいけないものは何なのか、そしてそのために彼がすべきことは何なのか…それはきわめて明白なはずだった
それでも、ロッシは胸にこみ上げてくる熱いモノと格闘していた
『何のためにヤマハに移籍したのか?』
『ポイントを重ねるためにレースをするのか?』
”勝って決めたい”という気持ちと、”ここで確実に決めておきたい”という気持ちの狭間で、ロッシは激しく揺れ動いていた
そんな時、彼の背中を押したのは…
ちょうど1年前のこのツインリングもてぎ…めまぐるしく変わるコンディションの中で、もがき苦しんでいたロッシをFIAT YAMAHAのピットから見守っていた彼…
そして、そのわずか2週間後に雲の上へと旅立ってしまった彼…
その彼がGPデビュー戦で見せた何者も恐れない果敢な姿…ロッシの”レーサー”としての原点でもあったその姿と、彼の魂をその身に纏ったロッシに、もう迷いはなかった
14ラップ目、決してセーフティとは言えないオーバーテイクでトップに立つと、2006年の開幕戦…そのオープニングラップの1コーナーから始まったロッシの長い旅をしめくくる最後の戦いが始まった
あの転倒から49のレース、1,274ラップの長い道程を、ある時は歓喜の中で、ある時は冷たい雨の中で、そして時には薄暗いマーシャルカーの中で旅してきた
まるでそんな長い旅路を暗示していたかのように、2007年のへレスのコースサイドでなかなか倒れなかった8本目のピン…それを今度こそ綺麗に、そして力強く倒すために最後の10ラップを激しく攻め続けるロッシの姿…
それはまさしく、2位や3位の表彰台ではなく、勝利をもぎ取るために攻め続けたあの日のノリックの姿そのものだった
「あと2年、このチームで走る」という彼の発言…それは、残り2本のピンをも倒してみせるという決意表明だろう
残りの2本…それは、もしかしたら大きなスプリットなのかもしれない
でも、それを獲れるのも彼しかいないだろう
そして、そんな瞬間をこの目で見ることができた時、心からこう思えるだろう
『モーターサイクルレースの歴史はバレンティーノ・ロッシというライダーを走らせるためにあった』と…