バレンティーノ・ロッシがピットに入ってくる姿を見ても、自分は驚かなかった
むしろタイヤを交換して再びレースに戻ったことの方が意外だった…
伝統のアッセンで、彼は明らかに苦戦していた
それはこの赤いマシンに乗って以降、常に悩まされてきた”セットアップ”というようなレベルではなく、さらに深刻で出口の見えない問題に見えた
繰り返してきたフレームやスイングアームの改良、数え切れないほど試してみた足回りやハンドリングのセッティング…一縷の望みを繋いできた1000ccマシンも、乗ってみたらむしろそれまでよりも”ダメ”なマシンだった
タイトルはもちろん、勝利も…いや、表彰台すらすっかりおぼつかなくなってしまった"THE DOCTOR"が自分に言い聞かせてきた唯一のモチベーションだった”開発”…
それすらも完全に瓦解し、ダッチウェザーにさえも見放されたこの日の彼にとっては、グリッドにつく理由は”契約”以外にはなかったのかもしれない
そう思わせたのがレース前の彼の姿だった
ピットではいつものようにコース図を手にレースシミュレーションをするわけでも、PCでデータを確認するわけでもなかった
ロッシは集まったスタッフ、とりわけブリヂストンのエンジニアを前に厳しい表情でまくしたてているように見えた
さらにグリッド上では、あきらめたような笑みをうかべるジェレミー・バージェスらスタッフと視線も合わさない
さらに目の前のテレビカメラにさえしばらく気がつかず、ただ視線を下に落としていた
いざレースが始まると、彼に幾分運がめぐってきたような展開となった
アルバロ・バウティスタがポイントリーダーのホルヘ・ロレンゾを道連れにクラッシュし、目下のライバルのうちの一人であるステファン・ブラドルも早々にリタイアし、オープニングラップを終えるとなんと”望外”の5位につけていた
しかし、それすらもこの日のロッシの闘争本能を呼び覚ますことはなかった
ラップごとに1秒ずつ4位から離され、一度はコースアウトしたチームメイトにまであっさりとかわされ、そしてサテライトチームの同じマシンの攻撃に耐え切れなくなると、彼はそのままピットを目指した
ゆっくりとピットに戻るロッシと対照的に見事な手際でタイヤ交換を行うチームを見たとき、あのレース前のピットでの出来事を理解した
あの時、おそらくロッシはこう言っていたのだろう
『このコンディションじゃ絶対にタイヤはもたない。もしそうなったらオレはピットに戻る』と…
ソフトタイヤを履き、ふたたびコースに戻ると同時に、かつて彼が纏っていたカラーリングのマシンが2台、猛然と彼の横をかすめていった
周回遅れとなったロッシがそのとき感じたのは、屈辱などではなく、あのマシンに対する憧憬だったのではないだろうか?
ピットアウトしていくロッシが捨てたのは、ティアオフシールドだけでなくもっと大切なものだったのかもしれない…