プレッシャーから解放された”王者”ケーシー・ストーナーと、そのプライドに賭けて負けたくないバレンティーノ・ロッシが、ポイント計算を抜きに真っ向から対峙する1戦…
そんなふうに楽しみにしていたオーストラリアGPだったが、ちょうど1週間前の悲劇から気持の整理がつかず、正直言って見るのがとても辛かった
テレビ局が編集した追悼VTRを見るまでもなく、サーキットの、パドックの、そしてどのライダーを見ても彼の事を思い出してしまうだろうということはわかっていた
『もしかしたら、何人かのライダーはメッセージボードを掲げるかもしれない』
『あるいは、優勝したライダーがインタビューで彼へのトリビュートを口にするかもしれない』
無意識のうちにそんな光景を期待している自分に嫌気がしながらも、その期待が裏切られることもまた恐かった…
薄曇りのフィリップアイランドはとても寒そうに見えた
テレビ局のアナウンサーは『深い悲しみに包まれている』と言い、モーニングセッションの後には彼を追悼する黙祷が捧げられたという
そしてヤマハのチームスタッフ、それに日本人ライダーやニッキー・ヘイデンらが左腕に喪章を付けているのを見たとき、それは自分が”期待”していた光景だったにもかかわらず、ちっとも嬉しくなく、悲しい現実を思い知らされただけだった…
でも、それ以外はいつものレース前の光景だった
グリッドでのライダー達は、いつものようにカメラに笑顔を見せ、観客の声援に応えていた
レースもストーナーが好ダッシュを決め、それをロッシ、ニッキー、ダニの3人が追い、後からカピロッシが追い上げるという、現時点での力関係を象徴するかのような展開だった
ただ、テレビの実況を担当したアナウンサーだけが彼の死にこだわっていた
ことあるごとにゲストの岡田忠之や宮城光に思い出を語らせ、現役のライダー達に与えた影響を何度も紹介した
アナウンサーが紡ぎ出すストーリー
ストーナーの激走に沸くサーキット…
その強烈にアンバランスな放送に、自分は2003年の8時間耐久を思い出した
あの時も、集まった観客やテレビ放送も含めた運営サイドの描いた物語とは裏腹に、HRCのライダーは予選から決勝当日まで一言も自分からは”大治郎”という言葉を出さなかった
現地で感じたそれは”不自然”というより、やはり”意図的”なものだろうと思った
でもその”想い”は、決勝レースを走っている彼らからヒシヒシと伝わってきた
彼らが亡き”大治郎”のためにするべきことは、グリッドでメッセージボードを掲げることでも、レース前のインタビューで『”大治郎”のために頑張る』というセリフを吐くことでもなく、”勝つ”ことなのだと…
だから、この日ロッシがマクレーの悲劇の時のように"Miss You"のボードを掲げなかったことに、彼の”想い”をより強く感じた
そして勝ったストーナーは『彼にこの勝利を捧げる』などというセリフはもちろん言わなかったけど、この日のレースが旅立っていった彼に対する最高の贈り物のように思えた
出走19台、完走17台。クラッシュによるリタイヤ0台…
レースの安全性について、誰よりも熱心に行動してきた彼が望んでいたのは、きっとこんなレースだったんだろうと思った
そんなことを思いながら見るストーナーのウィニングラン…
まるであの日の鈴鹿での彼のように、地元での勝利に熱狂する観衆の前で、誇らしげに、そしてちょっと恥ずかしげに国旗を掲げて走るストーナーの姿を見て、やっとこの言葉を言える気持になれた
さよなら、ノリック。安らかに…
taro's magazine mainsite …