精神論(motogp 07' Round-4 CHINESE GP)
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 かつて旧日本軍の戦闘機乗りは、出撃前に上官からこう檄を入れられたという
 『燃料がなくなっても気合いで飛ばせ!弾が切れたらカジりついてでも敵機を撃墜しろ!』

 人間が噛みついて墜ちる飛行機があるかどうかは知らないが、最後の手段として”気合い”で血路を切り開くという思考は日本人特有の、いわば”負の発想”だと思っていた

 矢折れ、弾尽きても、決して降伏などしない。竹槍で戦車に立ち向かうようなことを本気で考えていた国民性、さらにはほんの一昔前まで『運動中に水を飲んではいけない』というような”常識”がまかり通っていたスポーツ事情…

 どちらかというと”文系”な自分は、そんな日本人的思考よりも”欧米型合理主義”というものが正しいもののように見えた
 
 開幕戦でのバレンティーノ・ロッシは、ある意味ではそんな”欧米型合理主義”に忠実なスタンスを取っていたように思う

 ケーシー・ストーナーが駆るドゥカティの大砲のようなエンジンパワーを目にしたとき、ロッシのヤマハは何発かの正確な射撃を試みたものの、とても太刀打ちできないと判断するや”勇気ある撤退”をもって被害を最小限に食い止めた
 
 そして”別の戦線”…別のGP…で戦局を優位に進めることで、”最後の勝利”…タイトル…を得ようと判断したのだ

 ”リスクを最小限に抑えポイントを確実に稼ぎ、勝算の高いところで勝負する…”

 現代のグランプリシーンで、チャンピオンを目指す者には必須ともいえるこの”帝王学”こそ、グランプリにおける欧米型合理主義の非常にわかりやすい姿なのだろうと思う

 しかし、カタールでのロッシを見たとき、少し悲しい気持ちになったのもまた事実だった
 ”世界最高のライダー”が、強大なエンジンパワーを持つマシンを、ただ見送るしかないという選択をしたことが…
 
c0041105_23375131.jpg 『ロッシなら、馬力差をなんとかできたんじゃないか…』

 今まで何度も、彼が絶対に不利な条件を克服して勝ったレースを見てきた

 レース中に課された10秒ペナルティをコース上でチャラにしてみせた2003年のオーストラリア、2004年のヤマハに乗り換えての初戦での勝利、そしてタイトル…

 そのロッシが、異次元のトップスピードを誇るドゥカティを相手にどう闘うのか?

 答えは”気合い”だった

 遙か前方を走るストーナーの上体が起きるのを確認し、さらに一呼吸おいてから一気に前後のブレーキを激しく作動させた

 ブレーキの性能やタイヤのライフ、それに後に続く加速への影響といった”合理的な理由”など微塵も考慮しない、とにかくストーナーの前に出るためだけに行った”気合いイッパツ”の超レイトブレーキング…

 それは、あのカタールでの「ロッシなら、馬力差をなんとかできたんじゃないか…」を、誰よりも強く感じていたのは他ならぬロッシ自身なのだと痛感したシーンだった

 そんなロッシの姿を見て、16歳の頃に原付の最高速を試そうと田舎の直線道路で5速全開で走った日のことを思い出した

 もうエンジンが吹けきって加速しなくなった時、それ以上回らないスロットルを握る右手を、もう一段階強く握る…すると、ほんの少しだけ回転が延び、スピードアップした気がしたあの日…

 「絶対あきらめたくなかった」…この日の”気合い”をそう表現したロッシ
 彼の右手なら、レブリミットを超えても本当に加速することができるかもしれない


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by taros_magazine | 2007-05-06 23:22 | motorcycle diary


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