
もはや自分が”勝負できる”コンディションにないことは、7月の8時間耐久レースの時点でわかっていただろう
それでも、世界最高峰の舞台に立てる喜びに抗うことはできなかった
他の誰よりも、そして今でもレースを愛しているから…
伊藤真一が始めてグランプリを走ったのはもう四半世紀ほども前のことだ
国際A級昇格後、下位カテゴリーを経験せず、いきなりワークスでトップカテゴリーのGP500を走ったシンデレラボーイ
その88年、スポット参戦の鈴鹿でのエディ・ローソン、クリスチャン・サロンらとの3位争い、そしてクラッシュ
史上初めてグランプリで時速200マイルを超えたライダー
しかしそのキャリアは、必ずしも栄光に満ちたものではなく、またその走りも端正なルックスとは裏腹の泥臭いものだった
ミック・ドゥーハン全盛期に、何度も掴みかけながら、あと一歩届かなかったグランプリでの勝利
92年の8時間耐久での、闇に包まれたヘアピンでハンドルバーの折れたマシンを必死にスタートさせようとする姿
そして”再起不能”と言われた2007年の転倒…
どんなに怪我をしても、グランプリを去りワークスを離れても、彼は決してレースをやめなかった
その彼が遂に”引退”を口にした2010年…その長いキャリアに終止符を打ち、故郷宮城で静かに暮らしていた2011年3月11日…
亡くした親族のため、そして多くの被災者のために、彼がするべきこととして選んだのは”レース”だった
全日本で表彰台に上り、因縁の8耐では4度目の優勝を成し遂げた
そして遂に帰ってきたグランプリの舞台…あれほど転倒の多かったライダーが、荒れたレースを走りきって見事獲得した3ポイントは、走り続けることがどれほど尊いことなのか、レースがどれほど素晴らしいものなのかを誰よりも知っていた彼に神様が与えたプレゼントなのだと思う
彼と同じ時代を走ったライダーはもうグランプリにはいない
命を落としてしまった後輩も一人や二人ではない
それでも走り続けてきた伊藤真一のこの日の姿は、この数ヶ月パドックで肩身の狭い思いをしてきた青山博一や、この日伊藤と同じゼッケンでmoto2を走り、転倒してしまった高橋裕紀に、そしてこのレースを見ていた全ての日本の人に、絶対に希望と勇気を与えたはずだ